長文を書くのに何年かかるのか

長文を書きたいといって早五年、何年かかってこのブログをもう一度開いたのだろうか。正直言って、このブログの存在を忘れていたくらいだ。

前々から、長文をブログという形式で残しておく必要性は感じていたし、色々な方面から指摘されていた。

だが新たなことを始めるのはいつも億劫だ。今まで通りツイッターという形式でまとめればいいのではないかと思い込んでいた。

だが、そうもいかない事例に遭遇する。

言葉の解釈を明確に定義するには、140字は少なすぎた。

また、ツイッターという形式上、流れが速すぎてまとめきったころには流れに乗り遅れていることもしばしば。

それにツイッターの流れは自分だけのものではない。多種多様な人間がその流れを利用する都合上、一人だけがその流れを独占するわけにはいかない。

勿論、独占的に話をする必要が生じる場合もあるが、短期的な解決に向かう場合であり、長期的にことに向き合う場合には流れを保全しなければならない。これが非常に困難である。

その面においてブログという形態は優秀だといえる。ある人は「ツイッターという形式のせいで炎上が燃え尽きるまで早い」と評している。

炎上が早いということは、怒りを貯めるのも早いということだ。それをツイッターという公共的な流れに垂れ流すわけにもいかない。

流れを保全しておけば、怒りが収まった後に冷静に対応することも可能だ。それがブログという形式の適しているところだと、今認識する次第である。

人は必要に迫られなければ行動しない。私は必要に迫られたことで、新たなことに挑戦する機会を得たといえる。何か言い訳にしなけらば行動できない人の弱さではあるが、何も行動しないよりは遥かにましであるといえるだろう。

さて、次に長文を書くことになるのはいつになるのだろうか。

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