戦車戦(WoT)と銃撃戦(FPS)の違い

私は昔WoT(World of Tanks)というゲームをそれなりにやっていた。ちょっとした賞金のかかった大会に出ては優勝したりする程度にはやりこんでいて、腕にも自信があった。そんな私が最近になってFPSという、いわゆる銃撃戦ゲームをやるにあたって、相違点から気になったことがあったので列挙する次第である。


まず、WoTというゲームは戦車戦を扱うゲームでありTPS(Third Person Shooter)に分類されるゲームであるが、狙撃モードなどは一人称視点のいわゆる広義のFPS(First Peson Shooter)にも当てはまる。しかし、ここ比較するFPSは狭義の銃撃戦を行うゲームとして認識することを前提とする。その時、双方の大きな違いは自機が戦車か人型かという形で現れる。
人であればこその動きと撃たれ弱さがあり、逆に戦車であれば2つの履帯からくる動きと撃たれ強さがある。この二つの違いからくる運用と楽しみかたの違いを説明していこうと思う。




二本の足と二本の履帯

まず、その機動性について考えてみよう。人は二本の足によってその可動域内であれば前後左右に進み、さらには左右旋回や上下に跳んだり伏せたりすることができる。そして、走り出すと(主なゲームの設定としては)一定の最高速で前進することができる。
これに対して戦車は二本の履帯によってどのような動きを見せるだろうか。まず、二本の履帯は直線的な動きしかすることができない。つまり前後運動しかできない。左右の旋回に関しては、WWⅡ後期からの高級な車両においては超信地旋回が可能だが、多くの初級車両ではその場での旋回が難しい。しかし、エンジン出力の再現によって、その駆動は加速的であり緩やかに最高速に達する。そして人の走力を遥かに超える速力でもって様々な地形を踏破することができる。だが、戦車がその場で跳ぶことはない(バグジャンプを除く)。
以上の違いを戦車側から羅列するとこのようになる。

  • 前後のみの運動
  • 限定的な旋回性
  • 初動は鈍いが最高速は高い
  • 上下の変化はしない

次に攻防性能ついて考える。人には装甲という概念はなく防弾チョッキなどで多少の防御をしたところで、それに対する攻撃である銃は遥かに防御を上回りヘッドショットという一撃をも生み出す。
対する戦車は車種の個性による差異はあるものの装甲の存在が常であり、砲による攻撃を防ぐこともある。また、砲にも種類による差異はあるものの防御を遥かに超える連続的な攻撃は概ね存在せず、一撃性も一部の例外を除いて起こらない。(弾薬庫爆発はクソ)
これには自機の種類選択という余地が介在するが、連射性とヘッドショットの一撃と装甲配置という点が人と戦車との大きな違いといえる。
また、WoTはヘルス制を採用しており、同じ戦車戦を扱ったWar Thunderのモジュール制よりも撃破までの撃たれ強さが高くなっている。

  • 攻撃の単発性(機関銃は連射だが、主砲は単発)
  • 装甲による高い防御と撃たれ強さ
  • 一撃まぐれ撃破は概ね存在しない

以上の点から、人という直接的なものよりも戦車という一段階を経ることでより複雑に緩やかな動きが生み出されているといえると思う。また、少し段落の意図からは外れるがプレイ人数も15対15の戦車戦と5対5の対人戦と長くなりがちであり、これらを撃破するまでの時間の長さから「キルタイムが長い」なんて言い方もするだろう。ここではその時間の差から、戦術や駆け引きの幅と長さが異なることが説明できていれば十分だろう。

*キルタイム(kill time)・・・ここで「撃破するまでの時間の長さ」としてこのように造語で表現したが、settle time(セトルタイム、決着時間)等が適切な語のようにも感じる。


FPSは考えることが少ないのか

この記事を書き始めた当初の私はFPS側のキルタイムの短さから、戦術面においてはWoTの方が幅広いことを証明しようとしてさえいた。しかしそれは1戦の定義違いからであり、4ラウンド先取であったりラウンド数を重ねた最終的な勝敗を1戦とするか、15分の中で15対15を1試合を1戦とするかの違いによって、幅と長さが異なるものの面積は概ね変わらないことを認識するに至った。例えると、3つの賽を投げて全て「1」が出る確率か、賽を3回投げて毎回「1」が出る確率かの違いのようなものである。毎回投げるそれぞれが独立した試行であるかという点で個々の差異はあるがBo3等というルールとはそういうものだろう。
つまり、当初考えていたキルタイムの短さは1ラウンドにおいては大きな差となって現れるが、全体的な面積や体積といった積み重ねによっては差の縮まる余地があるということである。そしてそのキルタイムの違いはゲーム性という密度や性質の違いとなって現れることだろう。

確率の連続試行よって運は排される

当初、私はキルタイムの短さから運の要素が排されないように感じていた。ここでの運とは、練られた思考から来る意識的な行動に依拠するもの以外である。しかし1度であればたまたまな運であるといえることも連続的に何度も試行することでたまたま起きたという事態を排することができる。これを確率を介して説明すると、賽を1回振った場合に「1」が出るのは6分の1の運ともいえるが、10回振った全てが「1」であるのは何らかの行動が関わり運だけではないといえる。もちろん、6^10分の1程度の確率の運であるともいえなくはないが、それは個々の感覚の差異であることと思う。どこまでが運でどこからが運でないかは微妙なところだからだ。
その感覚の差異という微妙なところとキルタイムの短さという2点によって煙に巻かれている面があると思われる。それは運かスキルかという問題と議論を呼ぶことだろう。しかし、それも試行回数を重ねることで実力に収束するものでもある。

キルタイムの短さは、意識的な思考から来る行動よりも本能的感覚や直感的なものが占める割合が自然と大きくなる。それは時間の短さからくる思考範囲の制限と反射的な行動に起因する。反射は偶然起きたものか、それとも経験から来る用意された反応か。その再検証さえも、時間的短さとその連続性によって煙に巻かれる要因の一つとなる。だがその最終的な結果は収束するものであり、良い成績を出し続けているものが運以外の何かしらの能力を持ち得ていることは確かである。
よって、その概ね等しい体積の中で如何に性質と密度が異なろうとも、どちらかの考える総量が少ないと論じるのは間違いである。



FPSかTPSか

初めに戦車とFPSとを比較して論じる時の条件として、WoTを広義のFPSだとしたが違う見方もある。戦車や航空機、艦船などの人以外のものを使ったshooterゲームを全てTPSに分類することができるだろう。この場合personという人ではないのでPも違うのでTPS以外の何かのShooterゲームということになるだろう。そういう意味ではフライトシューティングというジャンルと近しいのかもしれない。ともかく、考える方向性と性質が人とそれ以外で異なることは疑いようもないことだ。
問題としては、その違いの中でどの能力が生かされているのかを認識し利用するかという点だ。瞬発的な能力の高いものがいれば、駆け引きに強いものもいるし、長期的な予測が得意なものもいる。例え同じジャンルであっても、もしくは同じゲームであっても異なる能力を生かすことが重要ではないだろうか。




最後に

この記事をまとめるにあたって長い時間をかけすぎたため、様々な情報や経験によって話が揺れているところが多く存在する。そのため乱文になってしまったが一度まとめる必要も感じていたので今回はこのようなまとめとする。
いずれ機会があればもう少し詳しく書きたいところでもあるし、最近しているゲームであるVALORANTのゲームシステムと戦車を組み合わせた構想を自分の中でまとめたい気持ちがあるので次はそれを書くことになるだろう。

VALORANT(マネーシステム)と戦車の組み合わせたゲーム構想→7/17

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